インタビュー
 蜷川幸雄氏−1

蜷川幸雄さんに聞く−1

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文化村の芸術監督に就任された際に、話題作をおやりになりたいと仰っしゃってましたが、この作品を選ばれた訳、そして競作にされたいきさつを教えて下さい
【蜷川】 まず、劇場というのはワイワイと下世話な匂いを立てながら賑わってるのがいいなあ、と僕は思ってる訳ですね。新劇と違うからね。別に何か習いに行く訳じゃないと。
それで、野田さんに、良い劇作家だから前から脚本(ホン)を頼んでいて。本当は別々にやりたかったんですけど、一本しか書けないというんで、「じゃ、競作でいいだろうか」と野田さんに言われて、「あ、いいよ」と。
すると話題にもなるし、僕も一生懸命やるかなあと。それからみんなが張り切って、色んな方が観に来てくださればいいし、出演者も頑張ればいいなあと思って、競作にしたんですけど。

実際に戯曲があがってきて、それを御覧になって、さあ、どうしてやろうと思われましたか
【蜷川】 最初に考えていたのより難しい。『難しい』というのはいい俳優じゃないと面白くならない脚本だなあ、と思ったんで。それまでに何人かお願いしていた人もいたんですけども、変えてですね、本当に実力のある上手い人たち、それからノイズの多いという言い方をしているんですが、種々雑多ないろんな感性をもった役者さんが総掛かりで野田さんの戯曲をねじ伏せようと、まあ、そういうことですかね。

稽古場のセットを拝見して、ガレキの八百屋舞台は長崎をイメージされているのですか
【蜷川】 それもありますしね。実際に汐留の遺跡を掘ってる所へ行ってみたんですけど、似たようなもんなんですよね。やはり現在の遺跡の発掘というのは上にコンクリートの建物があって、それを壊してどけて土になって、(土も)何層もあって時代が下がっていく訳で。ま、似たような光景でダブルイメージとしてね、長崎のガレキと、あるいは現在というガレキと、その下に遺跡があるというダブルイメージになるなと思ったことがあるんですね。
それからもう一つ、野田みたいなツルツルの芝居が好きじゃないってのもあるんですよ(笑)。
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