1961年の初演以来、代役なし、たったひとりで「林芙美子」を演じ続けてきた森光子さん。「森光子の『放浪記』、『放浪記』の森光子。」と言われるほどの代表作であり、これまでの公演回数は単独俳優による主演舞台のレコードなる1731回を数え、今回の芸術座・博多座・富山オーバードホールの公演が終了すると1795回となって、前人未到の大記録を更に更新することになります。
その森さんが演じる「林芙美子」のライバルである「日夏京子」役。
初演以来、浜木綿子、原知佐子、加茂さくら、奈良岡朋子、いしだあゆみ、南風洋子、大空真弓、有馬稲子、樫山文枝、黒柳徹子という錚々たる女優たちが演じてきた役どころですが、今回は11代目として池内淳子さんが「日夏京子」役となり、これが森光子さんと舞台では初共演となります。
そして終幕に登場し、舞台『放浪記』の作者でもある「菊田一夫」役は、初演以来1731回に渡って、ずっと小鹿番さんが演じ続けてきました。
晩年の林芙美子と来し方を語り合う場面での小鹿さんの演技は名演として人々の心に残っていますが、その小鹿さんは2004年3月まで『放浪記』の舞台を務め上げた後、残念ながら同年4月に他界されてしまいました。
その後を受け、今回の公演では斉藤晴彦さんが新たに菊田一夫役を務めています。
記念すべき公演の初日、外では雪が降る中での開演を前にして記者会見に応じた森光子さんは、芸術座の最後の公演を迎えることについて「お清めの雪も降ったし、今日は安心して迎えました。時間が経つのはしょうがないし、もうすぐだ、もうすぐだと思っている間の方が辛かったかもしれません。今日はもうこれで3月になったんだという気持ちがあります。」と落ち着いた様子。
「芸術座の最後を『放浪記』で締めくくらせていただけるのは何物にも変えがたく嬉しいです。今月は私の大好きな18代目中村勘三郎さんの舞台が開きましたが、いろんなもので拝見していたら、とても気持ちよく、そして大事な大事なお客様のことを第一番に考えて御挨拶していらっしゃるのを見て、私も本当にそうだな、と思いましたね。私も今日はお客様の事を第一に考えて、無心で演りたいと思います。」と、その心境を語ります。
初めて芸術座を見た時の印象を「ちょうど『人間の條件』というのをやっていたんです。それを観せていただいて、「ああ、これが芸術座か」と芝居を観るよりも客席をちらちらと見渡したりしながら「こういうお客様がお見えになっているんだ」と思いました。
後で楽屋に行って三益愛子先生にご挨拶をしたり、晴れがましい思いで皆さんにご挨拶をしたりして、それこそ「本当に演れるんだ」という気持ちを強くしましたね。
それまでも、ちょこちょこ(東京には)出て来ていたのですが、長い期間のお芝居に出たのは芸術座で昭和33年12月が初めてでした。」と話す森さん。
「その時は、ちょっと伺って1、2ヵ月出していただいて帰ると思っていた」そうですが、48年間の芸術座の歴史の中で、森さんが舞台に立たれていた月日を合計すると10年近くにもなるという、ホームグラウンドになりました。
「長くやってましたからね。前の月のお芝居に出ながら次の月のお稽古をやりながら両方掛け持ちしてました。ここは夜一回の公演で昼間は空いていましたので、昼間お稽古して、ですから頭の中に来月のお芝居の科白も入れて、今月のお芝居の科白も忘れないように、という、結構ハードなことをしていましたね。」と在りし日を振り返ります。
「芸術座は、袖から舞台のセンターまで何歩歩けば到達出来るかというのを身体が覚えているんですよね。だから「何歩ですか?」と今聞かれても解りませんけれど、身体で「あ、ここがセンター」って、不思議ですよね。」とまで慣れ親しんだ劇場ですが、「入れ物が変わるだけで、新しくなるんですからね。やっぱり古くなって危険な目にお合わせしたのではお客様にも申し訳ないし、きちんと良いしっかりした劇場を作っていただいて、後でまた希望を持っていろんなお芝居をさせていただきます。」と、新たな劇場での舞台にも意欲を見せます。
「最後の日に思い出に残ることをしてみたいと思いますか」と聞かれた森さん。
「一個有るんですけれど、多分言っても出来ないから・・・私、一ト月くらい前ですかね、でんぐり返しを3回やろうかな、って思ったんですよ(笑)。でも、あそこは木賃宿と言うくらいですから安い宿屋さんで、お布団がセンベイ布団で薄いんですよね。それがヨレヨレになって危ないんですよ。で、コロッとひっくり返ってまた立たなきゃいけませんし、立つ時が今度はキツイんですよね。それをやってモゴモゴになってみっともないと1回にも及ばない、と思って止めようと思っています。・・・何か吃驚させるアイデアは有りませんかね(笑)、教えて欲しいです。」と茶目っ気たっぷりの口調。
そして「今月は菊田先生も、小鹿番ちゃんも、全部劇場のどこかに居るつもりで演ります。この間、「菊田一夫さんも小鹿番さんも、山岡久乃さんも美空ひばりさんも・・・って書いてありましたね、みんな芸術座のどこかで観ていますよ。」と書いてあるお手紙をいただきました。昭和の中で大活躍なさった方のお名前を挙げてあったんですね。だから、そう思って演ろうと思っています。」と、改めて意気込みを語ります。
「新しい劇場で、やっぱり私の『放浪記』は出来ればやりたいと思います。やらせて貰いたいし、――他にも色んな芝居が有りますけれど、――ひとつと言われれば、その未だ名前の決まっていない新しい劇場で、何とかまた観たいというお客様に観ていただきたいと思います。」と、更なる先も見据えているようで、「新劇場の柿落としは『放浪記』ですね」という声に、「ありがとうございます。是非そう仰ってください(笑)。そういう声が大きいんです。仰ってくだされば。新しい芸術座への助走になります。」と笑顔を見せる森さん。
さらに「2000回は新しい劇場で向かえていただきたいですね。」という問いには、
「「前は「2000回! そんなの駄目です!」なんて言っていたのですけれど、芸術座で3月いっぱいやって、博多へ行きまして博多座で一ヶ月やって、富山で3日やると、1795回になるんだそうです、あと5回で1800回ですね・・・と言うと「そんな遠くでもないなあ」って、欲張りだけれど、そう思えて来るんですよ。」と答えます
会見の最後を「本当に長いことありがとう、という言葉と、それから申し訳ないけれども新しい劇場でも出来るようにお手伝いしてください、って言いたいです。」と芸術座に対するコメントで締めくくり、初日の舞台へと向かって行きました。
新しい劇場で2000回目の『放浪記』も通過点になるのではないか、と思える若々しい姿はまさに日本演劇界の至宝と言えるでしょう。
今回は一ヶ月間のみの公演という事で、チケットが入手出来なかった方も多いと聞きますが、新しくなった劇場で、さらに進化した『放浪記』を観劇出来る日も楽しみに待ちたいと思います。