シアターフォーラム    
シアターフォーラム 48年の歴史にさよなら芸術座 『放浪紀』千穐楽  - 後編 -



森光子

舞台「放浪記」より
舞台「放浪記」より

舞台「放浪記」より

森光子と菊田一夫
左より:森光子と菊田一夫  写真提供:東宝演劇部
舞台「放浪記」より

舞台「放浪記」より

森光子
 それぞれに万感の思いの篭った御挨拶の後、「森光子さんに花束の贈呈でございます。お友達でございます近藤真彦さん、お仲間と一緒にいらしています。」と紹介され、客席から近藤さんが舞台へと上がりますのが、その手には花束ではなく、小さな赤い箱を抱えています。

 近藤真彦さん「お花と思ったのですけれども、――その前に芸術座で舞台を踏んでお芝居もした事が無い僕がこのような席でご挨拶させていただきまして、本当に申し訳ありません。――森さんにいつまでもこの芸術座を忘れて欲しくない、僕たちファンの気持ちを忘れて欲しくない、という思いで今日は皆様の客席の後ろについているシートの名札を、森光子さんの“ミツコ”にちなんで“3-3”というシートの札を取って磨き上げたものがこれです。これで僕たちファンの気持ちをいつまでも忘れずに、お元気でまた僕たちの励みになるように、いつまでも僕たちも応援しています。」と森さんにプレゼントを手渡します。

 続けて「今日はジャニーズ事務所の代表として僕は御挨拶させていただいています。今日は僕の後輩が森光子さんを応援に来ました。」と話すと、客席に居た少年隊の3人を始め、V6、KinKi Kids、嵐、タッキー&翼のメンバーら総勢20人が一斉に拍手を送ります。

 そして、いよいよ最後のカーテンコールも終わりに近づき、森さんがマイクを手にします。
 「必ず初日が開けば千秋楽が来るものと言う事を解かっていましたし、今度の場合は千穐楽と言うより、新しく生まれ変わる劇場への最後のお別れと言う事になりまして、もうその発表を聞いた時から、この日が来るのが辛うございました。昭和32年にここが柿落としになりまして、.森繁久彌さんが『暖簾』で柿落としの主役をお務めになりました。
 私は次の年、昭和33年に『花のれん』で、――もちろん主役ではございません。三益愛子さんの脇役を務めさせていただきました。それから48年、もういつの間にか時が過ぎて行きました。本当に皆さんがさっきから仰いましたように、愛された劇場、そして皆一生懸命にやってくださる裏方の皆さん、例えば私は木賃宿でもってでんぐり返しを致します。その時はどうしても足袋を履いておりますと滑りますので、警察に連れて行かれて帰って来る時は、足袋を脱いで帰ってくる事にしております。その時のために足を怪我しないようにと演出助手の方が床を手で触ってちくちくするものを取り除いてくださったり、とにかく数限りなく皆さんの優しさを一身に集めさせていただいております。
 そしてこの舞台の上に並んでいる皆さん、ずーっと一緒にこのお芝居を一緒に、――池内淳子さん、斎藤さん、ウチの最初の恋人(竹岡淳一)は初参加でございますが、――みんなでこうやって創って参りました。本当にその皆さんたちがいらっしゃるお陰で、ひとつひとつ毎公演ごとに完成度が高まっていると私は自信を持って言えると思います。
 そして忘れてならないのは、――きょうもそれをしみじみと、最後に机にもたれながら考えておりました、――出演者だけではなくてお客様がそれを後押ししてくださって、私たちを本当に支えてくださっているんです。ですからお客様もお創りになっているお一人お一人のように、どうしても感じてなりません。いつももたれて――あれは寝ておりません、――ちゃんと今日お越しくださったお客様に感謝しながら、皆様がご健康で、御一家の皆様もご健康でいらっしゃるようにと願いながら、寝るふりをしております。
 本当に素晴らしい劇場、愛された劇場です。今日最後の日、開演の前にマッチさん、近藤真彦さんが「今日は特別の日だからって、肩に力入れちゃ駄目ですよ。ちゃんと平常心で演ってください」って仰ってくださいました。マッチさんは未だ30代です、でも本当の事なんです。本当に平常心で演らなければいけないと言う事を感謝して、そう思いながら演っておりました。今日の皆様の真心に支えられて、ありがたいありがたい『放浪記』の芸術座での最後の公演を無事終える事が出来まして、ありがたいと思っております。これは未だどなたにも申し上げてないし、発表もしておりません。並んでいらっしゃる皆さんも御存知無いと思いますが、先ほど尾道の前の25分の休憩で、東宝の高井社長さまから、――この劇場が出来るのは、再来年の11月になります、――と言う事は2007年の11月ですが、この『放浪紀』を、その次の年、2008年のお正月の公演でさせていただくことになりました。
 尾道の仕度をしている時にご報告をいただきまして、――ごめんなさい、皆さんに黙ってたけれど、――そういう事でございます。それで私は少し今日のお別れが、少し楽になったかな、と思います。また皆さんとご一緒にこの『放浪紀』が演れる日を待っております。どうぞその日まで、皆さんもどうぞ御健康でまた御覧いただければとても嬉しい事でございます。色々大変な事がございますけれども、どうぞ皆様お健やかで、その日にまたお目に掛かれる日が来ます事を心よりお願い申し上げます。本当に本日はありがとうございました。」

 と締め括った森さん。一段と大きな拍手が沸き起こる中、「これで『放浪紀』のカーテンコールは終わったと言う事で、続きましては「さよなら芸術座」のカーテンコールに移らせていただきます。」ということで、芸術座の誕生と同じくして菊田一夫氏が設立し、色々な舞台を支えてきた「劇団東宝現代劇」のメンバーが客席から舞台へと上がります。 そして劇団員より森さんに改めて花束が送られます。

 「本当に寂しいです。いつかまたここが新しい劇場に変わりましても、今日の思いは一生忘れられません。皆さんへ心から御礼を申し上げて今日はお別れとさせていただきます。ジャニーズの皆さん、そして他にも沢山お出でになっております。橋田壽賀子先生、石井ふく子先生、泉ピン子さん、野村昭子さん、他にも沢山お出でになっています。本当にこの素敵な日にお別れしてくださってありがたいと思います。どうぞこれからも新しい劇場が出来ましても皆様のお力をいただいて、この劇場が益々皆様に愛されますように心からお願いをしたいと思います。ありがとうございました。」との森さんの言葉の後、全員で深々と礼をする中で48年間を締め括る最後の緞帳が降り、客席に名残の余韻を残して芸術座最後の舞台はその幕を閉じたのでした。

 なお、『放浪紀』はこの後、2005年4月2日(土)〜4月28日(木)に福岡・博多座、2005年5月2日(月)〜5月4日(水)に富山・オーバードホールで上演が行われ、通算上演回数は1795回まで伸びることとなります。

 また、森光子さんが御挨拶の中でも触れられた通り、2007年11月に新オープンする劇場(名称未定)で、2008年1月〜3月の公演として『放浪紀』が上演される事が決定しております。


東宝サイト


   

 関連ニュース
 

特集・動画ページ


フォロミー 過去のニュース
次のニュース
当サイト掲載の情報・写真等の転載を禁じます。
Copyrigh(c) Theater forum 1999-2007 All Rights Reserved