小堺一機さん(オットー・クリンゲライン役) 2/3
●今回の役は登場人物の中でも人生の黄昏の部分を背負うような役で、小堺さんのコメディアンとしての明るいイメージからすると、新たな挑戦だと思えるのですが
この役も笑いが無い訳ではないので、そういう点で言うと重いテーマですけれども、それを・・・宮本亜門さんに教わったんですけれど、「綺麗なメロディだから綺麗に歌わなくていいんですよ」って言われたんです。「綺麗なメロディに負けちゃうから、綺麗に歌わないで強く歌ってください」とか。今回も悲しいから悲しくするのではなくて、笑わそうとするのではなくても、――回路としてコメディアンの回路は開けておきますけれども、――無理に電気を通わせなくてもいいな、と思っています。どこか得意分野というか、自分で得意だと思っているものというのはたまに足を引っ張りますから。今回で言うと「不治の病で最後に贅沢してやる」という一番切羽詰まっている人ですから、――お金とか名誉というのは命まで取られないけれど、――この人の場合は命がもう、というところで僕を配役してくれた、ということは、多分僕の中にある、どこかしらこう明るく見える、とか、その辺がほのかに出ていればいいんじゃないかと思います。だから無理に暗く作ろうとかは、今のところ僕は思っていないです。
●明るさを出しながら、深刻な部分を持つ役作りをされるということでしょうか
そう思っていますけれどね。台本に鋳型は出来ているんで、鋳型に合うようにすれば良い訳だから、そういう点でグレンさんは「あまり考えるな」って仰っているんだと思うんですよ。敢えて暗く演じる訳でもなく、脚本の通りに演れば多分、それで柄が僕なら丁度いいんだと思うんですよね。僕がそこで余計な事をしなけりゃ大丈夫だと思います。
●(トミー・チューン版では)男爵からホテルのマナーを教わるダンスシーンがあったのですが、ダンスのレッスンなどはするように言われたのでしょうか
いや、全然何も。「無し」でいいです、って皆にも言っていたみたいです。相当グレンさんの中にはっきりしたモノが在るんだと思いますよ。演出プランであったり、「美術さんと大道具さんにセットはもう頼んである」って言っていましたから、かなりの完成度でグレンさんの中に在るんだと思うので、それに合わせてくれって仰っているんだと思うんですよね。だから変に準備をしないでね、という。
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